普通の男が悪に目覚める映画『ジョーカー』の感想
どうも、てんぐますたーです!
本日10月4日公開の映画『ジョーカー』を見てきました!
凄かった!
感想を書きます!
『ジョーカー』ってどんな映画?
2019年に米国で製作された。
DCコミックスのバットマンの宿敵であるジョーカーの誕生に迫る作品。
ごみ溜めのような街で母と共に生活をしているアーサーは、いつしかコメディアンになることを夢見ていた。彼は脳に障害を負っており、突発的に意味もなく笑ってしまうことが多々あった。
ある時、ピエロの派遣会社に勤めていたアーサーは、ひょんなことから解雇されてしまう。失意のなかに人の疎らな電車に揺られていると、女性がスーツ姿の若い男たちに絡まれている場面に遭遇する。電車のなかに、アーサーの笑い声が響き渡る。彼は発作を起こしていたのだ。若者たちの標的が女性からアーサーへと変わった。若者たちはアーサーに暴力を振るう。最初のうちは不条理がただ過ぎ去るのを待っていたアーサーだったが、彼は護身用に持っていた拳銃で若者たちを殺してしまう。
書きたいことをあれこれと
普通とはどういうことなのかを考えさせられた。
本作の主人公は脳に障害を負った人物だ。突発的に意味もなく笑ってしまう症状のせいで、周囲には不気味がる人間もいた。
いま私は障害という言葉を使ったが、障害を持っていたら普通ではないのだろうか。
確かに健常者からしてみれば、脳に障害を負っていたり、腕がなかったりする人は、自分達とは違うという意味で、普通ではないのかもしれない。しかしながら、私達が障害者と呼ぶ人々は、その生活こそが普通であることを忘れてはならない。
普通という言葉は、「多くの場合においてそれが多数を占めること」を指し示すものだ。往々にして私たちは生活のなかで普通に拘るものだが、その窮屈な考えは、ある種の狂気が孕んでいるように感じてならない。
自分と違うものに対する偏見をなくして、寛容と理解の重要性を解いている作品だと思った。
本作の主人公であるアーサーは白線の上を注意深く歩いている印象を受けた。貧富の差、怒りと喜び、束縛と自由など、その他あらゆるものの相反するものの境界線で自分を保っていたのに、あるところで一線を越えてしまった。
「ジョーカー」は明らかに"悪"なのだが、本作をみる限りでは一方的にそうだとは言い切れないように思う。
スーパーパワーを持たない等身大の人間を中心に描いているからこそ、自然と感情移入をしていた。
おわりに
今回は『ジョーカー』の感想を書きました!
マジ名作。
興奮が冷め止まない。
時間に余裕が少しでもあるなら、是非とも劇場に足を運んで見てください!
最後まで読んでいただきありがとうございます!
また読んでいただけると、幸いです!