なぜこうなった? 『いなくなれ群青』を見てきた感想
どうも、てんぐますたーです!
今回は、公開初日である昨日見た『いなくなれ群青』の感想を書いていきます。
パンフレットの表紙はきれいだと思います。
『いなくなれ群青』ってどんな映画?
作家・河野裕原作の同名小説を映画化した作品。「階段島」シリーズとして新潮文庫nexから全6巻が刊行されています。
『いなくなれ群青』と『その白さえ嘘だとしても』を掛け合わせたハイブリッド作品。
本作は、誰かに捨てられた人々が集う階段島という架空の島が舞台となっています。その島は魔女が管理している隔離された世界。そこの住人である少年少女が、様々な葛藤を抱きながら、自分たちの問題に向き合っていく。
青春ミステリ、とかいうらしいです。
書きたいことをあれこれと
感動的なシーンを、繊細で美麗な映像で表現し、それっぽい音楽を流す。
それだけの映画。
感動的な、それっぽい雰囲気を垂れ流してはいるけれど、登場人物の掘り下げが少なすぎて、感情移入が出来ない。
本作は、シリーズ物の同名小説が原作で、その原作の小説を二つかけ合わせて良いとこどりをしたハイブリット作品となっているが、詰め込みすぎて駆け足気味となっている。
やりたいことが多すぎて、逆にメッセージ性が弱まっている印象を受けるのは私だけだろうか?
これだったら、原作を忠実にやっていたほうがいいものが出来たのではないかと思わずにはいられない。何はともあれ、問題は尺の長さと、脚本に疑問を一切抱かなかった制作陣だと思う。
本作には魔女が登場するのですが、その魔女の正体を映画を見ている私たちに初っ端開示する芸当からは、映画『アナザー』を彷彿とさせ、言語化してはいけないアレな感じがプンプンと漂っているし、片足を突っ込んでいるといっても言い過ぎではない。
本作を鑑賞したネットのコメントを見ていると、「深い」とか「難しい」という言葉が散見されるが、それは間違いである。正確には「不親切」なだけである。この映画作品が「深く」また「難しく」感じるのなら、私が書いているこの文章ですら含蓄に富んでいるように思えるだろうし、お手元のスマートフォンないしPCと同程度の難解さを讃えていることだろう。
個人的に、設定を多少いじくったのはまだ許容できるのですが、その結果として、これが出来上がってしまったことに義憤を覚える。
正直な話、見目麗しい男女がスクリーンに映し出されていなければ、すぐにでも退出する退屈さがこの作品にはある。
私が見に行った時には、舞台挨拶もあったのですが、それが一番面白いというのはいかがなものか。
原作が素晴らしい作品なだけに、この映画の出来には、不満しか出てこないです。
おわりに
今回は、映画『いなくなれ群青』について書きました。
なんだろう、金曜ロードショーとかで長い作品って場合によってはシーンをカットして放送されるじゃないですか。そんな感じの不自然さを感じる映画作品だと個人的には感じました。
私ね、原作すごい好きなんですよ。繊細な文章とか、静かに、けれど物語は進んでいく様だったりとか。
だから、今回の映画も楽しみにしていたのに、残念で仕方なかったです。
この映画を見て、原作を読んでみようってなる人って果たしているんですかね?
最後まで読んでいただきありがとうございました。
また読んでいただけると、これ幸いです。