てんぐの巣

どこにでもいる野生のてんぐです。ポケモンとか、映画とか好きなインドア派のてんぐです。雑多なことを書くてんぐです。

全てが謎に包まれた街で自分を求めてさまよう映画『ダークシティ』の感想

 どうも、てんぐますたーです!

 今回は映画『ダークシティ』を見ましたので感想を書いていきます。

 

 

 

 『ダークシティ』ってどんな映画? 

 1998年に制作された米国のSF作品。

 夜の明けない街「ダークシティ」。時計が12時を回ると、そこに住む全ての人々が集団催眠にかかり眠りにつく。人々が眠りに付いている僅かな時間で”彼ら”は、街を作り替える。街の建造物を、そこに住む人々の人格を作り替える。しかし、誰もその変化に気が付かない。

 その街で一人の記憶を失った男が目を覚ます。彼は自分の正体を探る過程で、この街の真実に迫っていくことになる。

 

 書きたいことをあれこれと

 レオナルド・ディカプリオの『インセプション』の映像に多大な影響を与えたんだろうなと察することのできる作品。

 1998年の映画ということで、今と比べたら明らかにCG技術がチープだが、その突出したアイデア群は昨今の映画作品にも引けを取らないものとなっている。特に街の建造物が僅かな時間で様々な形に姿を変えるシーンには、畏怖の念すら覚える。 

 

 「ダークシティ」を支配している連中は人々の記憶を好きなように改ざんすることが出来る。例えば善良な市民Aという人物に、犯罪者Bの記憶を埋め込むことが出来る。記憶を埋め込まれると、それ以前の記憶が失われる。つまり、それまで善良な市民であったAという人物は、完全に犯罪者Bという人物に成り代わる。多少なりと記憶の混濁はあるが、しかしAは自分がBであることに何一つ疑問を持たずに生活をする。

 この街の全住人が、おそらく一番最初の自分を知らないことだとか、そんなことを考えることも許されずにまた違う人間にさせられることとかを考えていると、背筋が凍る思いになる。

 

 本作の主人公は記憶を失っていることもあり、立ち位置としては視聴者と大して変わらない。ただし、本当に視聴者がその街にいきなりほっぽり出されても、記憶を改ざんされて映画の幕が閉じることを忘れてはならない。当然だが主人公には、主人公としての意味や役割がある。

 

 個人的にはすごく好きな部類の作品。酒とタバコが充満している感じの古臭い世界観がたまらないのです。

 

 ただ、全てを懇切丁寧に解説してくれる作品ではないので、鑑賞後に賛否がハッキリわかれる作品だとは思う。

 

 おわりに

 今回は映画『ダークシティ』の感想を書きました。

 正直にいうと、どことなくプロット(?)が『マトリックス』に似ているなとか思ったのですが、こちらの方が公開されるのが1年早いんですね(笑)

 20世紀の終わりに別々の監督が似たような作品を撮ったことには、何か特別な意味があるのかもしれませんね。

 

 最後まで、読んでいただきありがとうございました!

 また読んでいただけると、幸いです。